昔の秋葉原
大学生当時、映像系の専門学校にダブルスクールをしてゲーム会社に就職するつもりでいた私は、CGを自宅でも制作したいなぁ~
自作PCでも作るか~と思い、友人の兄が工学系だったので、あれこれ相談をしたところ、
それなら、秋葉(秋葉原)に行って見たほうが早いよということで、PC、家電全盛期の秋葉原裏の裏まで探索したという思い出を書こうと思います。
1990年代でもPCパーツショップの栄枯盛衰があり、大小関わらず、開店閉店を繰り返し、吸収や合併がありながら激しい新陳代謝のもとで秋葉原という町が活気づいていたように思えました。
2000年代初頭、駅前再開発が進み、映画「電車男」が世間の注目を集めた時期から、少しずつオタクという言葉が市民権を持ち始め、一部のマニア的なものから、一般大衆化して秋葉原自体が、コンテンツ産業の中心、ポップカルチャーの中心としての発信基地として受け入れ始め、電気街からオタクの街へと変化を遂げる瞬間でもありました。
1990年代当時でも、CMで盛んに目にした某電気店の前に何台もの大型バスで乗り付けては、免税店で家電を大量に購入して出ていくアジア圏の外国人観光客は良く目にしましたが、クールジャパンとして評価され秋葉原からAKIBAとしての認知度が高まってきてからは、その様相を大きく変化させて、より多くの海外旅行者を見かけるようになりました。
もう今では、観光地として当たり前の場所ですね。
1990年代の秋葉原は、今みたいにメイドカフェもコンセプトカフェも無ければ、アイドルに会いにいける劇場もなく、萌えという概念も一切存在しないラジオ、無線、テレビ、家電製品、オーディオ、ゲームソフトなどを扱う純粋な電気街で、今でこそ遅くまでやっている店舗が多いが、当時は夜20時にはほぼ閉店していました。
当時は、Windows95,98の発売もあってPC、PCゲーム、アニメが全盛期の時代でした。IntelもまだPentiumⅡとかⅢの時代…
駅前再開発が始動する以前は、駅前広場にはバスケットコートがあり、ラジオ会館、アキハバラデパートと昭和の面影を残すビルがいくつもあって、ビルとビルの間にも、中古のCDやビデオを詰め込んだワゴンがずらーっと並べられ、その奥を進んだ先にある狭くて暗いビルにもパソコンパーツや中古ゲームソフトを売るショップがひしめき合い、
パソコンのジャンクパーツには人が群がり、まだオタクという言葉が市民権を得る以前の、そしてかつての香港·九龍城を彷彿とさせるような混沌が広がる秋葉原がそこにあったのでした。
メイン通りから奥深く入るとシャッターの閉まった店の前には、Windows94なる違法なDVDを露店で売る外国人が居たり…、とにかく謎のパーツを売る露天商みたいな人がいっぱい居た記憶があります。
当時の私にとっては、ものすごく探求心をくすぐられる場所で、なにか混沌としていて得体のしれないわくわく感が止まらず、加えてなんとも言えない昭和という時代のなつかしさと居心地の良さを覚える特殊な場所でした。
思い返せば、今ならためらうであろう場所も躊躇なく好奇心に負けて足を踏み入れたりもしたのでした…。
今でこそ有名ですが、当時まだ特に知名度もなく、知る人ぞ知るというか、秋葉に来る人は当たり前のおでん缶の自動販売機がひっそりとたたずんでいたり…
あとは、食事をする場所を見つけるのも結構大変だった気がします汗
ちょっと離れた所に、某有名ファミリーレストランがあったのですが、秋葉の戦利品を広げて寸評するオタクたちでぎっしり埋まっており、雑居ビルにある老舗の洋食屋に入るか、秋葉に来たら必ず食べたい九州じゃんがらラーメンの列に並んだものです。
今では、観光地•オフィス街と変貌し、かつてのアンダーグラウンド的な店は鳴りを潜めてしまったように思います。
秋葉原という街自体の特殊性はありつつも、個人的には、一般化が進んだことで、ジャンクパーツ漁りやマニアックなPCパーツを求めて歩き回れる場所が無くなっていったことに
寂しさを覚えました。