ファッション今昔物語
私がまだ、大学生だった頃、アルバイトで稼いだお金はほとんど洋服代に消えていきました。
大学と同時に通っていた映像系の専門学校の友人達は、作る映像も然ることながらファッションに関してもエッジが効いていてとてもオシャレだったので、いつも真っ黒なファッションだった私は、いつしか彼らの買い物に一緒に行くようになりました。
当時90年代後半から2000年代初期は、ストリートを熱狂させた裏原系ファッションが一時代を築きあげていました。
渋谷センター街を中心とした渋カジファッションが盛り上がる中で、原宿では、メイン通りから少し離れたエリアで裏原系というファッションが展開され、着々と若者を支配していきました。
勿論、裏原宿という地名は存在せず、裏原宿は、神南エリア辺りまでを含めた神宮前3丁目から4丁目あたりの一帯を指していて、当時は、道が入り組んでいて、民家が立ち並ぶ中でまだ若者向けの店舗が少なかった中、次々とおしゃれなショップが次々と展開していきました。
1990年に「グッドイナフ」の設立を皮切りに日本で初めてのスケートボーダーやDJというストリートカルチャーの文脈を受け継いだブランドが発足しました。
その後は、今でも人気のあるUNDERCOVERや今では香港企業に売却されてしまったア・ベイシング・エイプなど、裏原のみならず、一時代を象徴するブランドが次々と生まれていったのです。
代官山をスタートとして、明治通り沿いのお店を物色しながら、キャットストリート沿いの店も余すことなく探索し、裏原宿エリアのほぼすべてのお店を回る為に、ほぼ一日中歩き回り、新作が出ればすぐに抑えに行ってバイト代のすべてを捧げていました。
今考えると、恐ろしいほどのバイタリティーだなと。
お店の人と仲良くなるのも、ひとつのステータスで、新作のリリースのタイミングなども聞き出したりと情報収集には余念がありませんでした。
どのブランドもオープン時には行列をなし、いざ順番が回ってきても、希望のサイズは中々手に入らないという状況で、そもそも、需要に対して供給が著しく少なく、過熱した人気の中で新作商品の入手は非常に困難でした。
当時は、というよりは、今もですが、「キムタク売れ」という言葉があり、木村拓哉氏がドラマ等で着た服は、すぐさま話題となり、一気に入手困難に陥りました。
とりわけ、HystericglamourやSupremeなんかはとんでもない金額に跳ね上がったりしたものです。
今でも、メルカリなどのフリマアプリでは、キムタク着用!とタグが貼られていたりと、付加価値として健在でした。
海外セレブが着て、話題になることはあっても日本の芸能人でそのような現象が起きるのはかなりレアなようですね。
エアマックスのブームを経て、2000年代に入ると、すこしずつ変化が訪れるようになり、長い間若者を熱狂させた裏原ムーブメントにも陰りを見せるようになりました。
いくつかの店は閉店し、次第にブームとして終焉を迎えていきました。
私が懇意にしていたお店(Lowriderというチェゲバラやイスラム系のものモチーフにしたデザインお店)も原宿のノースエンドから場所を渋谷のセンター街奥に変え、そして2009年ごろに閉店してしまいました。泣
それでも、今もなおそのブームの過熱を生き残り、ファッション業界でも影響を与え続けているブランドがあるのはとても凄いことだなと思いました。