盆踊り
八月の日本の風物詩といえば、お盆、夏休み、花火大会、高校野球、夏祭り、海、海水浴、猛暑、帰省、スイカ割、盆踊り、ビアガーデン、夏フェスなど色々あります。
その中であまり自分も知らない日本の盆踊りについてインドネシアのみなさんに調べてお届けしようと思います。
そもそも自分の中で盆踊りとは、夏祭りにやぐらの周囲をグルグル回りながら踊るもので特に意味合いなどは考えたことはありませんでした。
そして、祭りの起源ですが、調べてみると古事記の「天の岩戸」という説があるようです。「天の岩戸」とはざっくり言うと、いたずら好きな弟のいたずらにブチ切れた姉ちゃんの光の神様「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」が天の岩戸という岩屋の中に隠れて日本中が闇に覆われてしまったそうです。世の中に光を取り戻すべく天照大御神を「えっ、外、なんか楽しそう・・・」と天の岩戸から外へ関心を持たせ、外へ出させようと他の神様たちが岩戸の外でワイワイ盛り上がる作戦をたてて実践したことが祭りの起源とも言われています。
そして、昔の日本人は「稲作」を中心に過ごしていて、夏なら台風や大雨、害虫などの被害が少ないことを願ってお祭りが行われたようです。
盆踊りの盆とは、お盆の事です。
お盆の起源は仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)に因るらしく、現代のように家では仏壇に灯篭や花を飾り、墓参りをして先祖の霊を供養する形になったのは鎌倉時代から江戸時代の頃のようです。
そんなお盆に踊るのが、盆踊りです。
盆踊りの由来は、平安時代中期の「空也上人」という方がひょうたんを手に持って叩きながら歌うように念仏を唱え、人々に念仏を覚えてもらおうと工夫したそうです。
その念仏踊りが先祖を供養する盂蘭盆会と結びついて盆踊りになったそうです。
盆踊りは、ご先祖様を供養するために踊っていたのですね。 ここでの供養とは、ご先祖様が死後の世界で幸せに過ごせるように祈るという意味です。空也上人はこの人。
その後、鎌倉時代には、先祖供養の意味合いよりも民族芸能として重点が置かれ、娯楽的な要素が強くなってきたようです。
江戸時代になると、盆踊りは各地域の人々の交流の場や男女の出会いの場になったそうです。男女の出会いの場になった事で踊っているうちに色々なトラブルが起きたようです。
そのために、明治時代には「風紀を乱す」として盆踊りが取り締まりの対象となり一時衰退したようです。先祖を供養する事から始まったお盆踊りが「風紀を乱す」として取り締まりの対象となるとは令和に生きる貞操観念が高い私たちには想像もできませんね、まったく。
その後、大正時代末期には農村の娯楽として奨励され、再び日本各地で盛んにおこなわれるようになったそうです。農村の娯楽として農民が踊っていたんですね。盆踊りがどことなく現代のパラパラダンスに似ているのは娯楽という共通点があるからでしょうか。知らんけど。