インドネシアの日本車 そしてマニュアルの思い出へ….

先月、インドネシアに出張に行った際に感じた?思い出した?ことを書こうと思います。

インドネシア、日本車多いな!
マニュアル車多いな!

空港から現地に向かう車はトヨタのアルファードから始まり、街中を走る車は右を見ても左をみても日本車ばかりでびっくり、あとで知ったことですが、97%以上が日系ブランドという“日本車ラブ”な国で、パキスタンに続いて2位なんだそうです。知らなかった…無知。

日本車ラブもさることながら、街中で見る日本語の多さにもびっくり。
我々日本人が英語やローマ字表記のものを着たり持ったりする感覚なんでしょうかね。
と、それは置いといて、本題はマニュアル車多い!からの車のお話。

昭和の男らしく、免許はマニュアルで!と今の時代に抗った発想のまま、運転することもないだろうなと思いながらもマニュアルで取得した自動車免許。
少ない給与で何とか新車で購入した日産キューブ。「遊ぶ、運ぶ、キューブ」のキャッチコピーも懐かしいあれです。

最初はあまり興味がなかったものの、いざ買うとなるとあれこれと物欲センサーが…
オプションを付けていくとまぁまぁの金額になりました汗 今考えると中古で全然よかった…
キューブなのにと言ったらあれですが、マフラーを変えてみたりホイールを変えてみたり、プラグを変えてみたり、通称毒キノコと言われるエアインテーク(エアクリーナー)への交換など、自分のどこにあったのか改造魂に火がつき、キューブの持つポテンシャルを引き上げようと必死に車いじりを始めました。

そんな男に転機が訪れました。

ある時、同じ社内ではありましたが、別会社勤務の同い年の同僚と温泉に行こうという話になりまして、そんな彼が乗ってきたのは、あのR32のGT-Rでした。

うなりを上げる重低音のマフラーサウンド、地を這うような走りで今でも高値で取引される往年の名車です。

叔父さんから譲り受けてメンテナンスをしてるそうで、たまたまそれで迎えに来てくれたのです。
頭文字Dという漫画を読んでいた私は、まんまとドはまりして、マニュアル車購入へと向かったのです。

時系列的には、すぐな感じですが、4年ほどキューブを乗ったのちの出来事です。
そのミスターGT-Rを連れ立って、中古車センターに足を運びました。

私はスバルのレガシィーツーリングワゴンに目をつけていたので、色はバイオレットブルーで赤ちゃんの頭と同じくらいのマフラーの口径を持つそれを即決しました。素晴らしいBOXERサウンド! スバル車のエンジンはポルシェの同じ水平対向エンジン。
マフラーから奏でられる音は、ドコドコドコドコという音! マニアック!

ですが、恥ずかしいことにマニュアルなんて取ったっきり、一度も運転していなかった私が運転できるはずもありません。
ミスターGT-Rを連れてきた理由がそこにあります。「ごめん運転して」と。

夜な夜な自宅まわりの坂を必死に坂道発進の練習に励んでいたのは内緒です。

ある程度、ギアチェンジやクラッチに慣れてきたら、今度は、うずきっぱなしの改造魂を解放するだけでした。
もともと当時の国内規制最大の280馬力はあったので、何もしなくても早い車種ではあったのですが、
まずは、ツインターボのプライマリーからセカンダリーのタービンに切り替わる谷間を解消するシーケンシャルコントローラー!
何を言っているかさっぱり分からないかと思いますが、ターボが滑らかにかかる代物。

次に、燃調コントローラー。電子制御燃料噴射装置ですね。任意のタイミングでエンジンの回転数に合わせて燃料の噴射をコントロール
これによって加速が大幅に変化するという代物。

そこから、馬力や速度が測定できる、REVスピードメーターに、ターボ車のコンディションチェックや燃費改善を意識した走行に役立つブースト計
今の車には必要のないターボタイマー(毎分10~16万回転という高回転と高温に晒されるターボチャージャーのローターシャフト(軸)の焼き付き等を防ぐため、イグニッションキーをオフにしても、数分間アイドリングを続け、軸受け部分にオイルを供給し続けるというのが、ターボタイマーの役割)車を降りてカギをかけても、しばらくエンジンが動いていて、アイドリングしている状態ですね。

と、車のハンドル回りがだいぶ賑やかになり、もはやコクピット状態になっていきました。

「僕が一番、〇〇〇ムをうまく使えるんだ」と言わんばかりに、ギアチェンジも滑らかに、自らが操っている感が楽しいマニュアル車。
結婚するまでの1年ちょっとの短い付き合いとなりましたが、とても充実して楽しい車ライフ。

インドネシアでみたマニュアル車をみて、ふっと懐かしくなり思い出したというお話でございました。

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