ダジャレの取り扱い方

数ヶ月前だったと思いますが、妙な体験をしました。

仕事が終わって駅のホームで、ひとり電車を待っていたときだったと思います。
ふと、頭の中で「ダジャレ」が思い浮かんだのです。

デザイナーという職業柄、「この視点で考えたら、別のことに応用できそう」や「コレとアレを組み合わせると良さそう」「こんな商品面白いかも」などのアイデアが浮かぶことはあります。

でも「ダジャレ」を思い浮かべたのは人生で初めてのことだったのです。
それは「浮かんだ」というよりは「降りてきた」という感覚が近いかもしれません。

よく、ミュージシャンが話している「歌詞が降りてきた」や「メロディーが降ってきた」というのは、きっとこういう感覚なのでしょう。
私がミュージシャンなら慌てて、その浮かんだ歌詞やメロディーをどこかにメモするなり、ボイスメモに録音するはずですがその降りてきたダジャレは、私の口から発せられることも、スマホのメモに記憶されることもありませんでした。

現代日本のコミュニケーションにおいて「ダジャレ」の立ち位置はとても微妙なものといえるかもしれません。
また、それを発した人物にたいしても、皆一様に冷たい印象です。
というより、どう取り扱ってよいかわからないのが正直なところでしょう。

たとえばこんな場面を想像してみます。

会社での飲み会。上司が音頭をとってこう言います。
「え〜、皆様お疲れ様です。今日はビールを、あび〜るように飲みましょう! 乾杯!」

「ビール」と「浴びる」を掛けたダジャレです。

飲みの席なので、きっとその場のノリや勢いで切り抜けることができるでしょう。この場合、逆に場が盛り上がる可能性すらあります。
血気盛んな若手社員にいたっては、自らビールを浴びるというダジャレ通りの無茶な行動をしてしまうかもしれない。

さらに、こんな場面ではどうでしょう。

たとえば、仮にあなたは結婚したばかりとします。
新居に置くインテリアを探すために、日曜日にデパートへ買い物に行く。未来のことを想像してとても楽しい時間です。
ふと、寝具売り場に立ち寄ったとき、となりにいた相手がボソッとこう言います。

「布団がふっとんだ。」

おそらく悪気はないと思います。ここ最近は仕事で忙しそうだったし、きっと残業続きで疲れていたのでしょう。
「布団がふっとんだ」はおそらく日本で一番ポピュラーなダジャレです。日本人の頭の中にはデフォルトとして入っていると言っても過言ではありません。疲れていた場合、ふと口から出てしまう気持ちもわかります。

しかし、それを聞いたあなたは、どう反応すればいいのでしょう?
スルーして無かったことにする。または「そうだね。ふっとんだね。」と共感してみるなど、いくつか対応方法はあると思います。
相手の意外な一面が見えるという意味では、ダジャレもポジティブに捉えることができ、愛情がより一層深まるかもしれません。

歴史を遡ってみると、江戸時代では「判じ絵」というものが流行しました。
「判じ絵」というのは、絵を判じる(解く、推理する)という遊びで、絵を使った謎解きのようなものですがダジャレの要素も強く、それは今の目で見てもとても楽しく遊び心があって、デザインセンスの高さも感じることができます。

言葉の扱いがとても難しい現代ですが、江戸時代の人たちは「言葉を自由に楽しんでいたのだな」と思うと嬉しくなってくるのです。
判じ絵は、手拭いのデザインなどで今も見ることができるので、海外から来る方にはお土産としてもオススメです。

ダジャレが思い浮かぶ瞬間は、本来きっと楽しい瞬間。
今度はしっかりメモを残し、それをデザインに取り入れて、自分なりの判じ絵を作りたいと思うのです。

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